熊谷空襲を考える ~語り継ぐということ~
ワタシの実家は熊谷の田舎、ほとんど深谷との境界にある畑の真ん中にある。
両親ともに熊谷市出身だ
当然、子どものころから熊谷の空襲の話は聞いていた
ワタシの父は戦争の最後の年に理系の大学生となり、戦地にはいかず働かされていたようだ。
母はといえば、ちょうどYUくらいの年齢だった
そして熊谷の市街地に住んでいたため、空襲の犠牲になった一人だ
小さいころから聞かされていたのは
「空襲の前にビラが落ちてきてね、次は熊谷だって書いてあったんだよ」
「周り中家事になってね。おばあちゃん(母の母)が火事場の馬鹿力って奴で、タンスを外に放り投げていたよ(笑)」
「家事は怖かったよ」
「星川で人がたくさんなくなったんだよ」
「東京の空襲の時は東京のほうの空が真っ赤だったよ」(これは父から聞いたことだったかも)
ワタシくらいの年齢の方は、親から戦争の体験を聞かれていた方も多いのではないだろうか
うちの義父母は戦争の話をしない。
聞いたことはない。
息子(ワタシの夫)も聞いたことはない。
嫁はもちろん子どもにもいいたくない辛い思い出がたくさんあるんだろう
戦争を知っている人はどんどん少なくなる
いくつもの映像や文献は目にすることはあるけれど、直接話を聞くことはとても怖い体験だ
子どもの頃の私は赤く燃える熊谷の空を想像して怖かった。。。
写真集ではわからない体験を語り継ぐこと
そしてその背景を探り、考えること。
先日、実家に帰り、二つの博物館と美術館をみてきて、ようやく語り継ぐことの大切さがわかったような気がする。
YUのためにと出かけていった平和教育だが、実は自分の勉強にもなった
終戦の日に平和を考える。現在のありがたい日々のまえに起こったことを考えてみる。
一年に一度くらいそういう日があってもいいんじゃないかな
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コメント
こんにちは!
いつもどうもありがとうございます♪
うちの父親、祖父母も
東京空襲体験しております・・・
自分もいろいろ聞きました、数百Mしか離れてないところに着弾した話も・・・
ここに書くのに耐えない内容ばかりですが
自分も、子供たちにしっかり伝えていきたい
風化してはいけないと思います。
またよろしくお願いいたします♪
投稿: スーパーサイドバック | 2010年8月17日 (火) 13時00分